煉瓦研究ネットワーク東京 番外編3 国鉄長野工場の煉瓦

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今日はちょっと脱線して、煉瓦造りの建物が解体された際に記念品として保存されたものをご紹介したい。

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解体された煉瓦材に、日展審査員(後に日展参与まで務めた)瀬戸団治氏の青銅製のレリーフが付けられて、置物に加工されている。

3煉瓦.jpg

裏側に和紙に印刷された由来が貼られているので、そのまま引用したい。

2煉瓦.jpg      集 約 を 記 念 し て

明治21年今の信越線が直江津線として軽井沢まで建設され、長野県に初めて鉄道開業したのに伴い、明治23年2月16日内閣鉄道局長野出張所長野器械場が誕生した。これが今の国鉄長野工場の前身であって、官設としては国鉄最古のものである。

以来、明治、大正、昭和の三代の永きに亘り、長野駅裏の古風な赤レンガ造りの工場は、県下および近郊各線区に活躍する数多くの蒸気機関車、客貨車等の修繕を担当し、地域経済発展の基盤である輸送業務に蔭の力として貢献してきた。

昭和39年平林地籍に本工場が移り、栗田分所となったが、本工場が国鉄長期計画により完成した信越、中央両線電化等に対応し、近代車両修繕工場として整備拡充されるに伴い、昭和44年3月創立以来満79年の輝かしい歴史に終止符をうって閉鎖となり、本工場に集約された。

長かった蒸気鉄道時代を逞しく生き、近代化の進展によりやがてその姿を消そうとする蒸気機関車とその命運をともにしたが、その伝統は受け継がれ、その偉業は甲信越交通史上に末永く語り伝えられることであろう。

ここに郷土出身の日展審査員瀬戸団治氏の作品を添え明治を偲ぶ建家の赤レンガを頒ちて、記念としたい。

栗  田  分  所

所     地 長野市大字栗田263番地2
面     積 4万9,70平方メートル
機械台数 485台
資 産 額 11億5,00万円
従業員数 発足時 120人  ピーク時 2,329人  閉鎖時 549人
蒸気機関車修繕両数 1万5,690両
D51形蒸気機関車新製 9両
工作機械新製 20台

閉鎖年月日 昭和44年3月23日

日本国有鉄道長野工場
長野市大字西和田43番地の1

煉瓦の大きさは、220mm × 102mm × 58mmで、小口が鼻黒になっていて非常に丁寧な仕上げの煉瓦である。
残念ながら、烙印などのしるしは確認できない。

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