煉瓦研究ネットワーク関東のご案内

2019年11月17日、煉瓦研究ネットワーク東京は神奈川の煉瓦研究者と合流し、新たに『煉瓦研究ネットワーク関東』と改称いたしました。

今後は日本各地の研究者の皆様とも連携を図りながら、研究を深めてまいりますので、よろしくお願いいたします。

煉瓦研究ネットワーク関東の概要

18小アーチと焼き過ぎ煉瓦の装飾

焼過煉瓦と小アーチによる装飾

会としての活動は、平成24年6月に第一回の日野市内の煉瓦構築物を見学したのを皮切りに、関東各地の煉瓦構築物を観て回っています。現在は、定期的な勉強会も加えて煉瓦研究を深めています。

八つ沢発電所導水路

八つ沢発電所導水路

各地に残る煉瓦建造物を実際に観察し、その構造や特徴などの情報を記録し、事例などを蓄積することにより、多くの謎が浮かんでは解明されていきます。

荒川遊園外壁6

旧荒川遊園外壁

蓄積された情報をもとに謎を推測し、さらに未知の事実を推理することが煉瓦観察の醍醐味ともいえるでしょう。

煉瓦研究ネットワーク関東は、そんな煉瓦の新たな魅力を探し求めて活動しています。

近代日本の煉瓦造は、江戸末期の西洋式大砲を鋳造するための白煉瓦(耐火煉瓦)に始まります。

明治維新になると、建築素材としての煉瓦は多用され、日本近代化を象徴とするものになりました。

三代目広重銀座通煉瓦造

管理人所蔵 三代目広重銀座通煉瓦造

ところが東京の街は、1923年(大正12年)に発生した関東大震災で多くの建物は壊滅的な打撃をうけ、『煉瓦造り』は廃れていきます。

煉瓦を構造躯体とした建物が地震に弱かったのでしょうか。凌雲閣(浅草一二階、12階建てで1階から10階までが煉瓦造り、11階、12階が木造)の倒壊した写真は有名です。

3国立 浅草十二階

浅草凌雲閣

上の写真をご覧いただくと、8階から上が崩壊している様子がお分かりいただけると思います。多くの方が「脆くも崩壊してしまった」と見ることでしょう。一方「7階までは崩れなかった」とみることもできます。

煉瓦の建物が並んだ銀座煉瓦街はどうだったのでしょうか?

建物の47.8%が煉瓦造りであった銀座地区における地震(震度6~7程度と推測される)による直接的な被害は、

被害なし  8棟 21%
亀裂    20棟 51%
一部崩壊  8棟 21%
全壊    0棟  0%
不明    3棟  7%
(震災予防調査会 震災予防調査会報告第百号丙上)

となっていて、建物倒壊による圧死者は無く、煉瓦造の建物は最低限の耐震性を備えていたといえるでしょう。銀座煉瓦街は、地震後に発生した火災により壊滅したのでした。

しかしながら『煉瓦は地震に弱い』というイメージは強く、震災後の耐火建築物は施工の簡単な鉄筋コンクリート造へと変わっていきます。

都内をあちこち歩いていると、関東大震災以前に構築された煉瓦構造物はまだまだいたるところで見ることが出来ます。近代日本の西洋文化を取り入れた象徴ともいうべき『煉瓦』を後世に伝えていくことが必要です。

最近世界遺産に指定された富岡製紙工場をはじめ日本各地にはまだまだ多くの煉瓦造の建物や構築物が残っていますが、広島の原爆ドームが煉瓦造であることは、間近で見たことのない人にとってはあまり知られていない事実です。

2原爆ドーム3

原爆ドーム NT氏撮影

2原爆ドーム2

原爆ドーム2 NT氏撮影

日本近代化の証として、各地に残る煉瓦を記録に残し後世に伝えていくためにも、一人でも多くの方々に煉瓦に対して興味を持っていただくことが肝要です。

そのために、この煉瓦研究のネットワークを広げて、地域を越えた情報の共有化を図る目的で『煉瓦研究ネットワーク関東』は結成されました。

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