大阪環状線桜ノ宮駅の西側にある淀川橋梁のわきに、古いフランス積みの橋台とイギリス積みの橋台が仲良く並んでいる。

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これは旧大阪鉄道が1895年(明治28年)に敷設した城東線と、関西鉄道を経て国有化された後の1914年(大正3年)に城東線が複線化されたときに作られた橋台であることを説明した。

一般的に鉄道におけるフランス積みの構造物は、「明治30年頃を境に観られなくなる」といわれていることから、向かって左手にあるフランス積みの橋台が1895年(明治28年)に作られたであろうことは推察されるが確定はできない。

よく観察していくと、思わぬ手掛かりがあった。

今一度写真を見ていただきたい。下の写真の向かって左手にあるフランス積みの橋台は、上部を嵩上するためにコンクリートで固められている。

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次の写真の右手のイギリス積みのものは、橋台の上部の煉瓦積みがそのまま露出している部分がある。

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早速鞄を置くと、橋台の上によじ登った。

付近は駅に近く、通勤、買い物客が行きかう通路沿いでもあり、スーツを来た中年おじさんが橋台の上によじ登って、Nikon D4で写真を撮る姿は、さぞかし奇異に映ったことだろう。

意を決してよじ登ると、驚いたことにそこらじゅうが刻印だらけなのである。

確認できた刻印は8種類、そのうち出自のわかった刻印は、岸和田煉瓦と日本煉瓦である。

岸和田煉瓦は次の写真のとおり×印である。

10桜ノ宮 淀川橋梁 岸和田煉瓦刻印.jpg 

日本煉瓦の刻印は4枚の花弁のように見えるもので、花弁の中には数字と何か文字のように見えるものが書かれている。

7桜ノ宮 淀川橋梁 日本煉瓦刻印.jpg

8桜ノ宮 淀川橋梁 日本煉瓦刻印.jpg

11桜ノ宮 淀川橋梁 日本煉瓦刻印.jpg

13桜ノ宮 淀川橋梁 日本煉瓦刻印.jpg

さらに上の写真のように、副印のあるものがいくつかあるが、一番はっきりしているものは、漢数字の『壹』と読める。

次にリング状の刻印が5種類もある。

まず一重のリング。

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次に二重のリングが離れているものと、重なっているもの。

6桜ノ宮 淀川橋梁 刻印.jpg

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さらに一重のリングにへらで2か所筋をいれたようなもの。

この筋を入れる位置によって何かの意味を表したのだろうか?

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最後にリングの中に、鉛筆の先を当てたような丸い点が2箇所あるもの

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残念ながら、これらのリングの刻印がどこの工場のものかは判らなかった。

最後に『手』のような刻印。これも出自は判らなかった。

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さて前掲の『日本煉瓦』は、渋沢栄一の興した深谷にある『上敷免』として有名な『日本煉瓦製造株式会社』ではない。

大阪府泉北郡舳松村にあった『日本煉瓦株式会社』である。

同社は、1896年(明治29年)に設立され1897年(明治30年)に操業を開始していることから、1895年(明治28年)には存在しない煉瓦となる。

従って向かって左側の環状線に隣接するフランス積みの橋台が1895年(明治28年)に作られたもので、右側のイギリス積みがそれ以降関西鉄道、あるいは国有化後国によって作られたものだとわかる。

それでは1895年(明治28年)に大阪鉄道によって敷設された城東線に係る煉瓦構造物は、すべてフランス積みだったのだろうか?

綺麗な夕焼け空となり、夜の帳が下りてくる中、重たい鞄と重たいカメラを担いで周辺を走り回ってみた。

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走り回って確認できたことは、次回につづく!