東京湾要塞 千代ケ崎砲台3・・・横須賀市

今まで2回にわたって千代ケ崎砲台の様子をアップしてきましたが、今回はいよいよ最終回となります。

棲息掩蔽部を出て一度柵門まで戻ると、左手から(配置図上では上から右側に回り込んで)砲台上部へと向かいます。

この日は抜けるような青空でお日様が照り付けて、記録写真を撮るには陰影が強すぎて苦労しました。

配置図をご覧いただくと、上から第三砲座、第二砲座、第一砲座と3基6門の砲座があります。

現在の第三砲座は、昔自衛隊の手により埋め立てられていて、平坦な土地となっています。

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今年度横須賀市教育委員会さんでは、この埋め立てられた第三砲座の発掘を計画されています。

第二砲座は、一度埋め戻されましたが、再度掘り出されたため、よく見ると土手下の笠石があちこちで崩れています。

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第一砲座は、幸いに埋め戻されることがなかったため、保存状態は良好です。

前回アップした砲座の写真は高塁道(砲座と砲座を結ぶ隧道)から第一砲座を撮ったものです(次の写真は再掲)。

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次の写真は、上部に写っている隧道が砲座と砲座を結ぶ高塁道で、上の写真は、この隧道の入り口から撮ったものです。
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次の写真は砲座の中から高塁道の入り口を振り返ったところです。
128第一砲座.jpg

 

砲座の周辺にはアーチ型のへこみがありますが、ここは弾薬庫から引き揚げた砲弾を並べるロッカーの役割を果たしていました。これは大小の違いがありますが、友が島の観測所にも見ることができました。

両翼観測所と砲座の間は土管を埋設して伝声管としていました。

次の写真は砲座からみた伝声管の内部です。

129第一砲座伝声管.jpg

千代ケ崎を訪れた日はとてもお天気がよく、西を見ると富士山が綺麗に見えていました。

きっと、明治の世にこの砲台に配属された兵士たちも同じ風景を観ていたのでしょうね。

富士山2.jpg

東に目を転じると、浦賀水道を行き交う大型船がおもちゃの船のようで、手を伸ばせば掴めるように観えます。(千代ケ崎から房総半島を望んだちょうどいい写真がなかったので、浦賀の渡しの写真でごまかします(^^;;っっ)

101浦賀の渡し.jpg

そして海の向こうには房総の山々が一望できて、昔と変わらぬであろう風景に見とれてしまいます。

目を近くに転じると、冒頭の配置図の右下外側に位置する場所に地下施設の排気口が見えています。

煙突のように高さ2mくらいのコンクリートの平べったい枡状のものが建っていますが、これは本来上部のみが地上に出ているものです。おそらく周辺の地面を切り取って整地したため、本来地下に埋められていた部分が露出したのでしょう。

139地下施設外部排気口.jpg

ここには陸正面砲台(浦賀湾、久里浜に上陸してくる敵に対する防御を目的とし、臼砲、カノン砲、機関銃座からなる)の棲息掩蔽部、あるいは弾薬庫があるものと思いますが未確認です。

ちなみに今まで紹介した第一砲座から第三砲座は、浦賀水道に侵入してくる敵艦船からの防御が目的で、海正面砲台と言います。

次の排気口の写真は紀淡海峡にある由良要塞の深山砲台の換気口です。
夏島砲台にあるものも、ここ千代ケ崎砲台にあるものもほぼ同一の作りをしています。

換気口地上部2.jpg
次の写真は、内部の吸気口になります。この写真も深山砲台のものを掲載させていただきました。
換気口吸気部2.jpg

このほか丸い形状で土管のようなものが地上まで伸びているものもあり、猿島や友が島、深山にもありました。
おそらく、築造年代の違いなのでしょう。

冒頭の配置図を下の方まで進むと、地図の外側に小さな谷を挟んで向かいの小山にも煉瓦の隧道が見えます。ここが右翼観測所です。

138右翼観測所地下入口2.jpg
138右翼観測所地下入口.jpg

ここでも焼き過ぎ煉瓦を45度の角度に配置されていることが確認できます。
次の写真は、右翼観測所の主観測所(写真左)と、補助観測所(写真右)です。

2017.05.02右翼観測所 (1).jpg

(写真出典 近代築城遺跡研究会編 (由良要塞Ⅱ26ページ))

 ここ千代ケ崎砲台の左翼観測所は、配置図をご覧いただくと第三砲座の上に、地下に配置された『左翼観測所附属室』が記されていますが、観測所本体は、残念ながら原型をとどめていません。

さて、3回にわたって東京湾要塞の一翼を担う『千代ケ崎砲台』をご紹介してきましだか、如何だったでしょうか?

千代ケ崎砲台の特徴をあげるとすれば、以下の三点でしょう。、

 1.焼過煉瓦の使い方

   棲息掩蔽部の正面外壁は、焼過煉瓦を使って雨水や湿気の侵入を防いでいる

   隧道入口などに焼過煉瓦をななめ45度の二等辺三角形のように積んで、対候性を増している

 2.ねじりまんぽ(斜架拱)が使われている

   隧道に斜めに交差する出入り口3か所に東京近郊では初めて確認されたねじりまんぽの技法が使われている

 3.要塞築城技法後期の特徴

   要塞築城技法は『砲台築設要領』に基づき築かれていますが、その要領の書かれた明治10年代(猿島砲台がこれに属します)の前期、改訂された明治20年代前半(夏島砲台がこれに属します)の中期、そしてさらに改訂された明治20年代後半の後期の三期に分類されますが、ここ千代ケ崎砲台は後期の特徴をよく表しているように思います。

次回は、いよいよ紀淡海峡(紀伊半島と四国の間)を守る由良要塞についてご紹介させていただきます。

一足早く写真を数枚アップさせていただきましたが、もうここはおそらく何回いっても興味が尽きることはないと思います。

今まで東京湾要塞の『猿島砲台』、『夏島砲台(非公開)』、そしてここ『千代ケ崎砲台(非公開)』について学んできました。

その後で、由良要塞の本土側にある『深山第一、第二砲台』、さらには海を渡って『友ヶ島砲台』を巡ると、東京湾要塞と由良要塞の様々な共通点や相違点など、非常に興味深く見て回ることができました。お読みいただく皆様も、次回以降の記事と今回の千代ケ崎砲台の記事を比較してご覧いただくと、面白いかと思います。

由良要塞にいったおかげで、横須賀にも再び確認したい事項が出てきました。
なんとか近日中に和歌山で見たことを確認するために、横須賀観音崎砲台に訪れたいと切に願っているのですが・・・いつになことやら(^^;;

昨年5月に友ヶ島に念願の初上陸を果たして、速報を掲載したままになっておりますが、今振り返ってみるとなんの準備もしていなかったため、非常に多くの見落としがありました。

今回はその見落としを補完すべく訪問したものの、ちょっとしたハプニングなどあり、あと数回は訪問させていただきたいと考えております。