前回は甲武鉄道の旧八王子駅に続く遺構の跡をご紹介したが、今日は中央線開通当時の橋梁をご紹介しよう。
1901年(明治34年)に八王子⇔塩尻間が開通したときに、旧八王子駅から現在の八王子駅に線路が付け替えられたといわれているが、当時の記録や写真がほとんど残っていないため、詳細はわかっていない。
もし甲武鉄道の旧八王子駅の写真をお持ちの方がいれば、ぜひともご連絡いただきたい。
豊田から西進してきた中央線は、八王子駅手前でやや左にカーブを切るが、そのカーブを過ぎた辺りにあるのが、第二石曽根橋梁だ。
次の写真は、北側から見たところ。
次の写真は、南側から見たところだ。
この橋梁の特徴は、コーナーには隅石が使われている点だ。
この煉瓦が日野煉瓦製造所のものなのか、八王子煉瓦製造(後に大阪窯業に吸収)のものなのかは判っていない。
次の写真は、中央線の立川⇔日野間が開通した当時の橋梁(日野用水上堰架橋)であるが、コーナーに隅石は使われていない。
100年を超えてなお、今でもしっかり中央線を支えている。
さて、この近くの民家の私道にこんなものが埋められていた。
それぞれ『大阪窯業』と『OSAKA YOGYO』という刻印の入った煉瓦だ。
ディンプルが入っていることから、明治から大正時代に八王子市内の道路の舗装に使われた煉瓦だと思われる。
おそらく道路改修の折、破棄された煉瓦が再利用されているのだろう。