煉瓦作りの米蔵を後にして、次に向かったのは京王線北野駅の北に位置する由井第一小学校だ。
校庭の南側の隅にこのようなレンガ造りの門柱が左右残っている。

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1915年(大正4年)に全国各地で大正天皇の即位を祝う御大典記念行事が執り行われた。
ここ旧由井第一尋常小学校では、長沼の煉瓦工場で焼かれた煉瓦を使って、校門が建てられる。

実は旧由井第一尋常小学校は、当初現在地から西の北野天満宮の南側辺りにあったのだが、1917年(大正6年)に現在地に移転する。
その際、このレンガ造りの校門も移築されて現在に至っている。

これが表門の門柱であるが、やや小ぶりの裏門の門柱も昔はあったようだ。
さて次に向かったのが、旧甲武鉄道の遺構だ。
旧甲武鉄道は、1889年(明治22年)8月に立川⇔八王子間が開通するが、その当時の八王子駅は現在の八王子駅の北東にあった。

現在の中央線は、1901年(明治34年)に八王子⇔塩尻間が開通するが、その際現在の八王子駅が設けられた。
中央線を東京方面からやってくると、八王子駅手前で左にカーブするが、当初の甲武鉄道の線路はカーブせずにまっすぐ進むルートだった。

次の地図の『ホテル』と書いた位置に旧八王子駅があって、その先の引いた線が切れている辺りに大型の転車台があったといわれている。

1901年に現在の八王子駅が開業した後も旧八王子駅はしばらく使われていたという説があるが、当時の記録がほとんど残っていないため、よくわかっていない。

旧八王子駅が廃止された後は、八王子工業高校がホームの上に校舎を立てて、学校として使われていた。
その後、東京都立繊維工業試験場となって現在に至っている。

この旧八王子駅にいたる遺構は現在何も残っていないが、つい最近までは、小川を通すためのレンガ造りの遺構が残っていた。

次の写真の駐車場のある辺りである。

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解体されるときに撮られた写真が八王子市の資料に掲載されている。

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ここで使われた煉瓦は、解体の際一部が保管されているが、その特徴から日野煉瓦と判明している。

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黄色い円で記されたところが、日野煉瓦の特徴のカタカナの検印がはいっている様子だ。