あらかわ遊園を後にすると、一路徒歩で佐藤病院へと向かう。
路地を抜けると、突然都電が現れる。

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佐藤病院は『登山者検診』でも有名な病院で、1909年(明治42年)7月に佐藤医院が創設され、大正年間に『佐藤病院』と改称され現在に至る。

第二次世界大戦時の東京大空襲の際病院は全焼しており、創建当時の面影を語るものは煉瓦塀しかない。

敷地の南西側と、北東に煉瓦塀が残っている。

次の写真は敷地南西側の煉瓦塀であるが、ごく普通の造りで一部○印の刻印が入っている。

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南西側の煉瓦塀に比べて北東側は、都電小台駅に近く表玄関に隣接するためか、煉瓦塀の外側は、しっかり焼き閉められて赤黒くなった煉瓦を集めて造られている。

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以前にも書いたが、高い温度で、しっかり焼き締めることにより煉瓦表面の赤色の深みは増し、赤黒くなる。

煉瓦を焼くときに、釜の中に置いた位置などにより、意図せずに部分的に焼き締められて赤黒くなることがある。
小口が焼き締められて赤黒くなった煉瓦を『鼻黒』、長手が赤黒くなった煉瓦を『横黒』、隣り合う小口と長手が焼き閉められた煉瓦を『矩黒(カネグロ)』と呼ぶ。

焼き過ぎた煉瓦を『過焼煉瓦』とも呼び、撥水性が高いことから水周りに使われることが多い。

そんな偶然の賜物を集めて造られた表面は、とてもきれいだ。

小口か長手、どちらか一面が焼き締められているため煉瓦の形はいびつで、焼き締められている面と焼き締められていない面では長さが数ミリ違う(正確な立方体ではない)ことから、均等に煉瓦を積んでいくのには、かなりの技術が必要となる。

病院内側に面する側は、ごく普通の塀にみえるが、これがとても上の写真の同じ塀の裏側であるとは思えない。

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ここの煉瓦塀には、刻印が残されている。

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この後都電に乗って町屋へ向かい、常磐線開通当時の第一三ノ輪架道橋と第二三ノ輪架道橋を確認した後、旧千住製絨所の煉瓦塀を確認して、今回最終目的地である第三三ノ輪架道橋へと向かうのだが、順序を入れ替えて次回は旧千住製絨所の煉瓦塀からご紹介したい。