1872年(明治5年)4月5日午後3時頃、和田倉門内の兵部省から出火した火災は、丸の内から銀座、築地と燃え広がり、95万㎡を焼き尽くして午後10時過ぎに鎮火した。
世に言われる「銀座大火」だ。

政府はお雇い外国人でアイルランド出身のウォールスに設計を依頼して、西洋流の不燃都市の建設を目指す。

同年8月に着工すると、翌年にはロンドンのリージェントストリートをモデルにしたといわれる銀座煉瓦街が姿を現した。
ただすべてが煉瓦造というわけではなく、外観に漆喰を塗ったものや、煉瓦造りの1階の上に木造の2階をのせたような建物もあったという。

次の木版画は、代目歌川広重作 「東京名所之内銀坐通煉瓦造」の木版画だが、銀座の煉瓦街というと教科書にも登場するような有名なものだ。

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右端の建物は煉瓦造りだが、残念ながら煉瓦の積み方まで正確に描かれてはいないようだ。

銀座から発見された煉瓦の遺構は、江戸東京博物館と江戸東京たてもの園にあるが、煉瓦の積み方は見た感じが美しいフランス積みを用いて造られているようだ。

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左端の建物は、おそらく漆喰で固められていたのではないかと思う。

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街に描かれた人々に目をやると、ちょんまげを結っているもの、中華服をきているもの、和装、洋装、色々いてみているだけで楽しい。

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この木版画は、管理人所蔵のものを掲出した。